佐野埜之子の場合
佐野・埜之子 2022年1月2日
みかん貴族の中の一室、のの子の住居……と言うかアトリエ。
油絵具やテレピン、短筆、木と紙、等などの匂いが入り混じり、その香り相応に足の踏み場も無い程に画材のスケッチブックのキャンバスのベニヤ板だの釘だの金槌だのキャンバスプライヤーだの……まあ、酷い。取り敢えず人を招き入れる環境ではないし、人が住む環境でもない。
だから此処で人と人が触れ合う事は余りない。
ただ、主の居ない時に中に入り、並ぶ未完成の絵の山を眺める事は出来る。
のの子は鍵を閉めないし、留守中に人が入ることも気にしないし、聞けば構わないと即答する。だから気が向けば幾らでも見る事ができる。鑑賞に適うかどうかは別だ。何せ大凡完成作品というものが皆無だし。
……或いは。感受性の高い者であれば、もしくはのの子と何らかの形で相性が良ければ、もっと他の奇抜な理由で、それらの未完成品から何か読み取れるものがあるかも知れない。
・基本的にはRPスペースじゃありません。
・個人的な設定とか書き散らす場所。
1
佐野・埜之子 2022年1月2日
一層
新宿島以前の彼女を知り、かつ特に親しくなかった者は。まずそのだらしない姿に驚く。そんな風では無かったからだ。確かに当時から絵にしか興味がなく、他の事に一切頓着しない生活態度ではあった物の、身嗜みと生活態度は極真っ当な物だったからである。
佐野・埜之子 2022年1月2日
二層
新宿島以前の彼女を知り、かつある程度以上親しかった者は。そのしっかりぶりに驚く。そんな風では無かったからだ。当時ののの子の身嗜みと生活態度を支えていたのが、実弟の甲斐甲斐しい世話焼き三昧によるものだと知っているからだ。身嗜みを見れば弟……豊太が居ない事は一目瞭然で、『その上でのの子がまともな人間生活が営めてる』事に驚愕するのである。大変酷い認識だが、これはかつてののの子の言動がそれ以上に酷かった為なので自業自得である。
佐野・埜之子 2022年1月18日
三層
新宿島以前の彼女と親しく、かつ此処でもまた一定以上近しくした者は。のの子が積極的に他者に関わる事に絶句し、まして人の世話を焼く様にはエイリアンが入れ替わっている事を疑う。大凡の他人に興味が無く、面倒としか思っていない事を隠しもしなかったのが当時の彼女だったので。
但し、関わりが続けば直ぐに気づきもする。どうものの子が意識してその様にしている事と、どうやらそれらは『拙いながらも弟の真似をしている』らしい事に。
佐野・埜之子 2022年1月18日
四層
この辺りから通り一辺倒の関りでは気付かなくなる。が、親しくあれば何処かのタイミングでポロリと零す言動から推察は出来る範囲でもある。
のの子は、弟が居なくなった事で空いた穴を誰かに埋めて欲しいと思って居るが、実際に埋められたら弟が居なくなった現実を受け入れざる得なくなるだろう事を忌避しても居る。
のの子は、自分と言う凡そ真っ当とは言い難い生活態度の人間に手を差し伸べてくれる人間に感謝も好意も感じては居るが、それを受け入れる事によって何処からか聞こえて来る『何だ、自分に都合さえ良ければ弟じゃなくても良いのか』と言う空耳を恐怖しても居る。
のの子は、一人になってから急に他人に興味と好意を抱きやすくなった自分の身勝手さと分かり易さを自覚して居るし、だからそんな自分を嫌悪して居る。
のの子は、だから、ああ見えて割と必死で弟の真似をして居るのだ。何とかして自分で埋めてしまわないと……と。
佐野・埜之子 2022年5月7日
五層
口に出したりはしない。しかし、秘密にしようと言う確固たる意志も実の所無い。
今現在の他者と関り交わろうとする性質は弟の模倣である。ではそれ以前がどうだったかと言えば……
他者に興味がない。より正確には、これと定めた『絵』以外の全てがどうでも良い。そんな手掛かりの一切ない滑らかな球面の様な精神に唯一深く穿たれた鎹が弟の存在で、それ以外の事に関しては致命的に酷薄。何にも躊躇が無いし、何にも意欲が無い。
それは逸脱ではなく、欠損でもなく、単に不足。そう言った事柄への情緒の成長を、別に良いやと横に置き続けた挙句、そのままの形で社会の中に居座ったまま。言ってしまえばただのダメ人間だし、精神年齢が低いだけとも言える。が、その度合いが聊か極端だった。
勿論、先述の模倣により得た関係や経験から、急速に様々な影響を受けて居る最中ではある。行く行くは改善して行く目もあるだろう。
が、現時点では……
佐野・埜之子 2022年5月25日
六層
では何故その様な人格に育ったのか? 生まれ付き? 違う。
実の所本当に未だ幼い頃の彼女はそうではなかった。他者や世界への興味があった。それ等の扱いが別に良いやと脇へ捨てれる程軽くなった一つ目の切っ掛けは……実の所、のの子自身己が何歳位の時だったのかすら記憶が定かでない。
ただ、絵と言う存在と描くと言う事に魅了された。己の生まれた意味をそこに定めると決めてしまった位に。それ自体はまあ、それなりに稀有だがままある話でもあるだろう。
その上で、のの子の絵は決して完成しなかった。完成したと自分で思える段階に至らなかった。何度描いても何度描いても何度描いてもどれだけ重ねても決して届かなかった。
佐野・埜之子 2022年5月25日
七層
画力の不足?
技量の不足?
才能の不足?
分からなかった。ただ一つ確かなのは、『確かに描きたい何か』が己の中にあって。けれどその姿は曖昧どころか微塵として皆見えやせず、手探りで描けど、描けど、描けど、描けど、描いても描いても描いても描いても描いても描いても無い無い無い無い無いどこにも無い。
無い物に辿り着ける筈がない。
それでもどうしても掴みたくて。掴めなくて。ソレはそれ以外の全てを次々と捨て出した。どれだけ捨てても、どれだけ捧げても、それでもちっとも届く気すらしないのに。段々と、ゆっくりと、無駄なんじゃ無いかと薄々気付いてしまいながらも。けれど諦め切れなくて。
そうして『絵以外の他大凡全てに興味の無い』のの子の半分が構築されて行った。
半分だけ。
佐野・埜之子 2022年5月29日
八層
聡い子だった。察しの良い子だった、何より情の深い子だった。
豊太と言う名の少年は、未だ幼いながら己の姉の状態が到底良い傾向ではない事を理解し、その上で切り捨てずその小さな手を伸ばす事を選び続けた。故にそれは偶然では無かった、絵に傾倒し絵以外の全てを投げ捨てつつあった彼女に寄り添おうとするならば、それはそうするだろう。だからそれは必然だった。
姉の気を引こうとした弟が描いた絵。腕前は拙く技術は足らず、けれどそれは絵だった。おざなりな物では姉の不興を買うだけとわかっていた彼は、未熟なりに精一杯の表現を紙の上に広げた。
良くある話かもしれない。俗に言うマーフィーの法則にも当て嵌まるだろうか。起きた事は至ってシンプルだ。
その絵は、一眼で分かるほどに明確に、のの子の描く絵よりも圧倒的に、のの子にとっての理想に近く肉薄していた。
佐野・埜之子 2022年6月15日
九層
才能の足らぬ姉と、姉の望んだ才能を持つ弟。
どう転んでも幸福な形にはなりそうにない二人は、しかし結論から言えば丸く納まった。いや、寧ろ理想的な状態にまとまった。
聡く察しが良く情の深い弟は二度と絵を描こうとしなかった。詳しい事情迄は分からないまでも、己の描いたそれを見た姉の反応が決して良い物ではない事に気付いたからだ。何より彼は別に絵に傾倒して居なかった。
しかし姉からすれば、弟が『そう言う絵を描ける』事を既に認識しているし忘れれる筈も無い。
故に、弟はのの子に取って『どうでも良い存在』では無くなった。
絵以外の全てを外に追いやっていた彼女の視界の中に、彼だけは入る様になったのだ。
そして彼女の視野狭窄は先天的な物ではなく、絵の為に後天的にそうなった物で。別に生まれつき情緒が無いと言う訳では無い。視界にさえ入れば、そこに居るのはよく気の利く優しい弟だ。そりゃあ、転ぶ。コロっと。
佐野・埜之子 2022年6月15日
十層
結果数年も経たぬうちに、学校でも有名なシスコンとブラコンの姉弟の完成である。弟は弟で姉の面倒を見過ぎて色々拗らせている感があったし、姉は姉でもう完全に弟に依存していた(※生活態度や人間生活の維持的な意味で)。正直、良くないと思うと言われた事は数え切れない程あったし、何なら男女の仲を疑われることすらあったが、二人は意にも解さなかった。そう言うマイペースさだけは良く似た姉弟だったものである。
二人が思春期に入った頃、父親が職場の既婚女性と不貞を働き母親にガチ切れされすったもんだの末離婚、関東へと引っ越す事になった事もその関係に拍車をかけた。情に厚い弟は兎も角姉の方は実の所全然ショックを受けて居なかったのだが……周囲はそう思わず、姉の生活態度も弟の甲斐甲斐しさも『そんな事があったんじゃ仕方がない』と容認しがちになってしまったのだ。
で、邪魔が無くなった分、一層悪化すると。
佐野・埜之子 2022年8月29日
十一層
こうして『絵以外の他大凡全てに興味の無い』のの子のもう半分が完成する。
何せ絵以外の凡そ全てをうっちゃっていても、弟がフォローしてくれるのである。だから興味を持つ必要が無くなったのだ。文章化すると何甘やかしてるんだお前以外の感想が出てこない酷い有様だが……まあ、少なくとものの子はそれで満足だった。
しかし弟の方はやがてそうではなくなった。
不平や不満が溜まった……訳では無い。姉の面倒を見て、叱ったり甘やかしたりと言う事自体には彼は満足していた(それもどうなのだと思わざる得ないが)。ただ、繰り返しになるが聡く、察しが良く、何より情の深い彼からすれば。大切な姉がそうやって人間社会から零れ落ちて行く様を、他ならぬ自分自身がそれを助長している状況を、到底『良し』とはし続けれなかったのだ。
佐野・埜之子 2022年8月29日
十二層
端的に『他者と関われ』、これが弟より姉に出された指示だ。超ド級の正論である。
一方のの子は寝耳に水と言う他ないこの言葉に激しく反発……は、しなかった。全然しなかった。『ええー、そないな面倒やけど……まあでもとよ君が言うんやったらその方が良えんやろなあ』と、まあそんな調子である。つまり、その頃にはもうすっかり彼女は弟の言葉と判断に全幅の信頼を寄せる様になっていたのだ。絵以外の事に関してなら、自分の感覚より弟の判断をノータイムで信じるレベルで。それはそれでどう何だって話だが、兎も角のの子はその言葉に従って他者への関りを再開する。さし渡っては通って居る学校のクラスメイトがその対象だった。
だがその結果、それまで表に出て居なかったのの子の性格的問題点が判明する事になる。
佐野・埜之子 2022年9月8日
十三層
のの子は非常に惚れっぽかった。とは言え恋愛的な意味ではない、いや、それも含みはするのだろうが社会性を投げ捨てた彼女の情緒は、思春期に至っても未だ全然異性にそう言う感情を持つほど育っていなかった。
要するには他者に懐き易く、物事に傾倒し易い。思えば『絵』と言う概念に凄まじい勢いで傾倒した事も、その状態の己が視界に入って来た弟に物凄い勢いで懐いた事も、そもそもこの惚れっぽい性質があってこそだったのだろう。
それが最初に惚れ込んだ絵に傾倒し過ぎ、次に惚れ込んだ弟によって充足し切った事で、それ以外の他者にその性質を向ける機会が無くなっていたのだ。
しかし、その枷が外れた。他ならぬ弟の指示により他者に関わる様になったのの子は。
……まあ、その。何だ。一言で言うと大量の火種をばら撒く事になった。
佐野・埜之子 2022年9月8日
十四層
容姿に特別優れている訳ではないが、それなりに愛嬌のある顔はしている。雀斑は好みに拠る所ではあるだろう。そして若い世代に置いてはそこそこ重要な要素として彼女は身なりが清潔だった。……滅茶苦茶甲斐甲斐しく世話を焼いている弟の仕事の結果だが。まあ兎も角傍目の印象は悪くなかった訳だ。
そんな見目の小柄少女がめっちゃ懐いてくる。教えた事にもすごい好奇心旺盛に食い付き詳しく聞いてくる。ついでに言うと(人付き合いの経験が極幼い頃まで遡らないとろくに無いため)距離感が近く矢鱈と触れて来る。勿論、自分が触れられても全然嫌がらない。
『全自動厄介事生産機かな?』
一番冷静な目を持っていた同級生のコメントである。尚、その人物は妖怪談義と(弟君への)忠告と(弟君への)情報提供以外の関りを持つ気が余り無かった為、発生した厄介事の全ては豊太が対処する事となった。
佐野・埜之子 2022年9月10日
十五層
『彼氏の一つも作ってくれ』
それが、十代にして胃潰瘍の痛みを知った弟から下された新たなオーダーである。
その『彼氏』と言う言葉に『厄介事除け』と言う聊か非人道的なルビが振ってある事は明白だったが、誰も彼を責めなかった。
でものの子の反応はポカーンとした物で。作り方が分からないと同級生に問うも、貰えたのはレクチャーでは無くホームセンターで割引売りされていたらしい紙粘土だけだった。
結果、無駄に素直な所のあるのの子の作った『彼氏』と言う題名の珍妙なオブジェ(紙粘土製)を前に、豊太少年は盛大に膝から崩れ落ちたし、同級生は滅茶苦茶笑ってるし、何なら程なく喧嘩を始めたが、のの子は理由がよく分からなかったので取り敢えず傍観者に徹した。
思えば、のの子はこの頃が一番幸せだったのかも知れない。それが内心に『絵が完成しない届かない事への焦燥』を堆積させ続ける過程の中であったとしても。
佐野・埜之子 2022年9月10日
十六層
絵に回す時間が減った事は不満だった。けれど新たなインプットによって発想が広がる事にも、この頃には気付きつつあった。特に長らく『壁にぶち当たっている』状態であるのの子には、決して軽んじれない事だとも。
やっぱり自慢の弟の指示は正しかった。けれど自分の人付き合いはどうも上手く無いらしい。と、流石に自分が連日起こる厄介事の元である事位は自覚していたのの子は、その事を同級生に相談した。弟に相談しなかったのは、単に『とよ君なら聞かんでも知っとったら教えてくれてる筈』だからだ。
同級生からの(紙粘土の件の様なあしらいを数度挟んだ上での)答えは『弟の真似をなさい。酷いシスコンって以外はそこそこ好人物よ、アレ』で。
なるほどと思った。弟が好人物である事には一片の異論も無かった事もある。
まあ、ちょっと驚きもしたので、『よう喧嘩しとるし仲悪いんやと思ってた』と言ったら酢を飲んだ様な顔をされたけど。
佐野・埜之子 2022年9月28日
十七層
同級生(別に友達じゃないと何時も言っていたので、のの子は友達ではないと思っている)は、理屈っぽく言葉をこねくり回すのが好きで。同じ妖怪や伝承の話をしていてものの子とは意見が噛み合わないと言うかすれ違ってそのまま霧散する事が多かった。相容れない割に一緒に居ても特に苦痛がない、と言うのはその彼女の言だ。弟とは別の意味で、のの子に取っては他者との関わり方を教わった相手でもある。実の所出鱈目も可成の量を吹き込まれているのだが、のの子は気にしていない。
『今はどうしているだろうか。新宿島で再会して、話して、ぶん殴られて以来一度も会っていない。その時、人間に戻るか人間を止めるかしたら訪ねて来て良いと言われたので、渡された住所には近付かない様にしている。また会いたいとは思うけど、言われた事を違えたら多分もう絶対に許してくれないと思うので』
のの子はこの件に関し、致命的な位に何も分かっていない。
佐野・埜之子 2022年9月28日
十八層
現在、弟である豊太に関してのの子は『今も居る』様に話す事があり、コレは意図的なものである。また、彼に関して話す際の表現に現在進行形と過去形が入り混じるのも意図的なものである。
それは先述の様に第三者を『彼の代わりの様に扱ってしまわぬ様に』と言う自戒の面があり、単に未だに受け入れきれていない面もあり、ある意味で彼女に取っては『まだ終わっていない話』であると言う面もある。
逆に言うと心情的・観念的・都合等の要素を外した純粋に現実として、佐野豊太と言う名の少年は明確に死亡している。
のの子が新宿島に来る前の事であり。そこに『もしかしたら』の入る余地は一切ない。他ならぬ姉がその目と手で、ハッキリと確認をしたので。
遺っているのは彼が生前愛用していた懐中時計だけである。数年前の誕生日に、他ならぬのの子がプレゼントした物。だから今も彼の物で、何時か返すのだ。
もう、返せないのだけれど。
佐野・埜之子 2022年10月13日
十九層
外界に目を向ける様になったのの子の絵の『幅』は広がったし、描き続ける事による技術の向上も当然ある。けれど彼女は、彼女の求める『絵』には全く肉薄できなかった。
純粋に才能が不足している面もあるのだろう。けれどもう一つ、外界の情報と他者の言葉を聞く事で『機を逸した』可能性をのの子は認識した。
幼少期、人間には外界で得た経験や知識や刺激を真綿の様に吸い込んで成長する時期がある。……そう考えるなら、その重要な時期に外界から目を逸らし、只管『絵を描く』と言う内に籠った事だけに傾倒していたのの子は。……入力を得るべき時期に出力ばかりしていた事で、その感性を磨くチャンスを不意にしたのではないか。と。
実際の所は分からないし。例えそうであったとしてもやる事は変わらない。その仮定に辿り着いた際、のの子は特にどんな感情も顕にはしなかった。だから周囲の大半は平気なのだと考え、ごく一部だけが青い顔をした。
佐野・埜之子 2022年11月14日
二十層
その後、ぼうっとしている時ののの子の思考に『どうでも良い事を考えている』と『絵の事を考えている』以外にもう一種類が増えた。
どうしてだろうとどうすれば良いのだろうと考えている。どうしてだろうどうすればいいのだろうどうすればいいのだろうどうすればいいのだろうと考えている。どうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうと考えている。どうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうと考えているそんな事を考えても無意味だし無駄な時間だと知ってはいるのだけれどどうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろうどうしてだろうどうすればいいのだろう
佐野・埜之子 2022年11月14日
二十一層
答えの出ない事を考える不毛さをのの子自信自覚しているため、取り敢えずので構わないからと結論を付ける為に他人に相談を投げかける事が増えた。他者に相対するチャンネルが増えたと言う事であり、それ自体は歓迎すべき事だと弟は思ったが、相談の内容に関しては眉を顰めざる得なかった。
のの子は、人にどう言う時に心が動くのかと聞いて回っていた。それは感動や喜びでも構わないが、恐怖や苦痛でも構わない様子だった。芸術の美は人の心を動かすとされる故に、心を動かされた状況からの逆算で芸術の美に、引いては自分の求める『何か』にたどり着けえるのではないかと考えている風だった。
ただ幸いにして、その危い模索は同級生の『それは探して掘り返して見つかる様な物か? 偶然だの奇跡だのが重なって突然行き合うものじゃないのか』と言う屁理屈により、一旦の中断を迎えた。
引き換えに、終始キョロキョロとする癖をのの子に残したが。
佐野・埜之子 2022年11月14日
欄外
不用意だった。言い訳でしかないが、何時もの与太話のつもりだったし、それがあんなに深く突き刺さるとは夢にも思っていなかった。名前を覚えないと言う主張を額面通り受け取って、未だに埜之子にとって自分は十把一絡げのどうでも良い存在なのだと思い込んでいた。或いは、自分も心の何処かで拗ねていたのだろうか。だとしたらお笑い種だが笑えない。
アレ自身にも自覚はないだろうけれど、軽い気持ちの話にああも『はまり込んでしまった』のを見た今の自分には分かる。アレは、要は『友達ではない』と言われて拗ねていたのだ。だから本当は名前も、言葉も、話もきちんと聞いて覚えていて……影響も受け得た。なのにアレがそんな真っ当な情緒の働きを有していると思っていなかった自分は、そんな事にすら気づかず、要らぬ話をしてしまった。
この失態は濯げない、せめて今は離れていないと。あの状態のアレの傍に自分が居ては、大凡悪影響しかない。
佐野・埜之子 2022年11月30日
二十二層
現在のの子が使っている眼鏡は長年使っている父親のお下がりである。世代と性別の違いを差し引いても野暮ったいその黒縁眼鏡を彼女が使い続けて居るのは、幼少期の弟がそれを『好き』と言ったからである。未だ幼くファッション知識などない当時の豊太からすれば、他の人とは違うそのデザインが個性的でカッコ良く見えたと言うだけで、成長後の彼は事ある毎にいい加減買い替えろと言っていたのだが。
散々働きかけられ渋々新調した新しい眼鏡もあるのだが、それから程なくエゼキエル戦争によりのの子は『死に』新宿島に来ている。その為、新しい方の眼鏡は彼女に取って今の状況、家族……取り分け弟との別離の象徴となっている。と、そう判断した同級生によって没収され、現在のの子の手元には無い。
……ただ、ネメシス形態になった際に弟の腕と共に出現する辺り、その判断が正しいかどうかには聊かの疑問が残るのだが。
佐野・埜之子 2022年11月30日
二十三層
のの子は社会的規範への認識が緩い。倫理観や一般常識への意識も薄い。
それは幼少期より外界への興味が薄かった結果の不見識だが、半ば無意識ながら『そう言う制限』がただでさえ致命的に伸び悩んでいる己の『絵』を抑える可能性を厭うている面もある。
勿論、それで意味も無く何かしらの凶行を起こす訳ではない。多少ズレてはいても、ちゃんと他者への情も繋がりも思い遣りも持ち合わせているのだから。
ただ、彼女なりの明確な理由と意味があるなら話は変わる。可能性がある。
ある意味でそれは誰しも同じではあるのだが、元々の縛りが緩い分ハードルが人より少し低いのは事実である。
それと関連してだろうか。みかん貴族のオーナーは、市場への参加者の中である種の職能や知見を持つ者に『それとなく気に掛けて欲しい』と声を掛けており。仕事の振り分けの際、のの子と関わり易い様に采配している。
佐野・埜之子 2022年11月30日
二十四層
みかん貴族のオーナーとのの子の関係は至極シンプルで、のの子が新宿島に来た際に最初に出会った人間がオーナーである。
その際、極めて奇矯な行動に出ていた彼女を落ち着かせ話を聞いたのも、その結果これは自分だけでは手に負えぬとのの子の知己を島中探し回り、見事同級生を見つけ出し引き合わせたのも彼である。挙句に職まで世話されているのだから、平たく言ってのの子は滅茶苦茶世話になっている。恩人と言って差し支えない。
元より人との縁を重視する考え方の人間だからと言うのもある。単にお人好しで面倒見の良い性格と言う事もある。当人に言わせれば『あれをあのまま放り出すのは後々目覚めが悪すぎる』となる。
凡そ社会不適合者で基本的に身勝手なのの子が、なのに割と真面目に事務員の仕事をしている理由がこれである。一応、恩義位は感じているのだ。居眠りはするし、扱いと物言いは滅茶苦茶雑いけど。
佐野・埜之子 2022年12月9日
二十五層
のの子は精神的に幼く、しかも自分自身に対する興味が薄い為、己の感情をいまいち把握していない所がある。その結果、自分が他者に向けている絆や情にさっぱり自覚が無い事が非常に多い。
ただし、『愛情』に関してだけは彼女なりの自覚と線引きがある。……彼女なりの、であって大凡一般的であるとか普遍的正しさがあるとは到底言えない基準だが。
弟と言う家族への愛情。別離の恐怖を目前に、更にもう一つ付随する要素が重なってようやく自覚に至った強い情念。そこまで揃ってようやくハッキリと認識したその想いは、彼女自身に少しだけ歪な錯綜を残した。
因果関係の逆転。別離を恐怖する相手でかつ、もう一つの『とある付随要素が重なり得る』と自身が判断した相手に、のの子は愛情を向ける。それは概ねがイコールと言って差し支えない為、然程の齟齬は生じない。
ただ、全てがイコールでは無いので、そこそこの齟齬は生じる。
佐野・埜之子 2022年12月11日
欄外
『お前は絵の為に友達を作るのか』
そう問うた時、自分はそれなりの『一撃』をくれてやったつもりではあった。言い訳をするなら、その時点では未だ佐野埜之子と言う人間を分かっていなかったのだ。
『あー……そうやね。そうかも?』
何だこいつと思った。恥ずかしい思い出だ。
最初は本物のキ印なのかと思った。段々そうでもないと気付いた。それから要するに子供のままなのだと理解した。けれどその内それだけでも無いと考え直した。単純ではなく色々と入り混じっている……当たり前といえば当たり前の話。
でも。
『お前は○○○○ん○○を○○て○○為に友達を作るのか』
そう聞いた時、別にお前を傷つけようとは思ってなかったんだ。
『やっぱり……そない、せえへんと。あかんやろか……?』
親と逸れた迷子みたいな。そんな顔、初めて見た。
迷わずそうするか。
迷わずしないと言うか。
そのどちらかなら……いや、これは言い訳ですら無いな。
佐野・埜之子 2023年2月18日
二十六層
のの子は別段、狂っている訳ではない。その精神に一般的とは言えぬ要素はあれど、異形と言う程かと言うと微妙な線でもある。美の魔性に憑かれては居るのだろう、そうして美に傾倒した末に芸術の道を進む或いは零れ落ちる……そう言う芸術を志す者の大分類の中に居る事は間違いないだろう。
彼女に異常があるとすれば、その幼さ未熟さだけだ。
その長所は、幼く未熟故に専心できる事。7つ迄とされる神の領域に未だ居座っているのだと考えれば、それは小さくないアドバンテージなのかも知れない。
その短所は、幼く未熟故にあっけなく踏み外し得ると言う事だ。浅慮と畏れ知らずが起こす転落、深く暗いそこに落ちればどうなるのか……拙い心はその危険への配慮に欠ける。
或いは、一度スレスレ迄踏み外した事で配慮できる様になったのだとしても。それでも尚。
佐野・埜之子 11月23日00時
欄外
のの子が同級生やクラスメイトと呼ぶ(或いは最近ではのの子からその人となりを聞いた友人に強子と言う愛称で呼ばれている)人物は、基本的に全て同じ人物である。
ひょんな事から関わる様になって以来、のの子に積極に話しかけ、様々な事を教え、間違いを正し、何だかんだ一学年下の弟が居ない就学時間の間の面倒をずっと見てやっていた。当人は面白がっていただけだと言って否定するだろうが、紛れもなく恩人と言える存在である。
必然、豊太とはのの子を鎹に関わる事が非常に多く、意見や考えが対立しては事ある毎に議論や喧嘩をしていた。尤も、第三者が『子供の教育方針で言い争う夫婦のようだ』と評したその光景は、何時の頃からか比喩でないそのままの事実に段々近づいていたのだが……
尚、のの子は当時その事に一切気付いていなかった。新宿島に来て数年経った先日、友人との会話に促されてようやく思い至った様子ではあるけれど。
佐野・埜之子 2月19日21時
底
底は抜けない。だって地獄には至らないから。
https://tw7.t-walker.jp/club/thread?thread_id=51691&mode=last50
佐野・埜之子 3月20日00時
ネメシス形態・表『あわいで踊る半端者』
きちんと綺麗に整えられた服装、髪と髪型、それは弟が居た頃の物。そうしてそこにその腕がある。あの日焼け落ちて喪われた筈の左の方の腕。けれどそこに未だあって触れる事が出来る。そこに居る。
地獄の炎は燃え盛り、けれどその身を焼く事は無くただじっと見る事が出来る。とてもとても埜之子にとって都合がよく、望むままの、けれどだからこそ何処にも辿り着けないままの姿。
地獄に焦がれながら情愛に縋る救い難い半端者の有様。
https://tw7.t-walker.jp/gallery/?id=162739
佐野・埜之子 4月27日09時
ネメシス形態・裏『ひとでなしの故意』
『if』の未来とその強さ、その仮想顕現。もしも、全て全てを絵の為に夢の為に欲望の為に捧げる事を意図的に意識的に行い、それを厭う事すら無くなったのなら。
真の意味で他者を必要としないなら顔など要らない、ただ利用せねばならぬだけなら紙の面で良い。食事も身嗜みも必要なければ身体は土気色の死に近づくがそれもどうでも良いし必要ない体に描き換えれば良い。そうだ腕も描き足そう多い方が便利だ。他にも思いつくまま気が向くまま、だって他事は、どうでも、良いのだし。
焦り惑いも悩みも消え所作には余裕と自信が出よう。
これで半端者では無い。良かったなあ。おめでとう良かった良かった。それはもう、人では無いけれど。
https://tw7.t-walker.jp/gallery/?id=194305
佐野・埜之子 7月8日22時
マイナス一層
嫌いなのは油絵具と人付合いと自分、乾く迄待てなくて色が濁るから。
乾いて固まる前に次の色を乗せると混ざる。混ざると濁る。思って居なかった色になってしまう。……逆に言うと、濁っていない色が好きだった。好きだった? いや、その方が良いと思って居ただけかもしれない。
人付き合いは、時間が掛かる。だから……でも、自分は、堪えれなくて手を伸ばしてしまうから、だから最初から嫌いだと避けてしまえば、自分の絵の具はずっと濁らなくて綺麗でそう言う色の方が求める絵に近づくに違いないと。
それが間違いだったのだろうか。弟に言われたのはつまりそう言う事では無いのか。アドバイスに従い広げていった世界の色はやはり濁っていたけれど、でも求める色は寧ろそちらでは無かったのだろうか。
混ざった色は取り除けない。人付き合いをすれば染みていまう。自分に溶け込んだ大事なものは自分を純粋では無くならせる。
それは……
佐野・埜之子 7月9日22時
マイナス二層
好きなのは鉛筆と透明水彩と伝承。すぐ乾くから。
乾くと言うのはハッキリすると言う事、簡単に変わらなくなると言う事。そう言う物を求めるのは、本当は分かってる。確たるものが欲しい確たるものにしたい安心したい辿り着きたい保証が欲しい。
けれど、そんなものはない。
知っている。父親の不倫の事自体にはあまり何とも思わなかったけれど(約束的な物を破ったと言う意味で悪い事なのだと言う事は分かる)、『夫婦』と言う確定した関係性すら不変ではないのだと言う実例はちょっとだけショックだった。そうか、そうだな、『これだ』と『これだけは変わらない』と甘えれる物など無いのだ。
全ては変わるし。全ては終わる。全ては……
ああ、何だろう。其処に、確かに、何かがある。なのに触れれない。
佐野・埜之子 8月23日14時
マイナス三層
弟・豊太は、現状その死を覆せる道がない。
理論上、死の原因であるロノヴェータを『宿縁邂逅』により彼の死の前の段階に遡り討ち果たせば、その死は無かった事になる。
だが豊太の死因はマンションが倒壊した際の事故死である。マンションの倒壊の原因である戦闘の原因は、とある大天使とアークデーモンの(手勢を引き連れた)中規模戦闘だが、当のクロノヴェータ二体は首痴イウウァルトにより屠られており、埜之子(及びきょう子)は共に顔すら見て居ない。よって宿縁が繋がる訳がない。
イウウァルトは埜之子を殺した事から宿縁が繋がっているが、実の所彼女は『目上のアークデーモンに命じられて嫌々参加していた』だけである。殺した所で、その戦いが無かった事になるとは到底思えない。
以上の事は『きょう子』の情報収集と埜之子とのオーナーを介した擦り合わせにより調べ上げられ、情報として共有されている。
佐野・埜之子 8月23日15時
欄外
平たく言えばのの子は他者を踏み躙る行為に走る可能性がある。『そうした方が彼女の望む【絵】に手が届く目が高い』し、あいつはそれを豊太の件で認識してしまっているから。ただ、それは『対して親しくも無い赤の他人に対して行っても意味がない』事でもある。最愛の弟……と迄の域である必要があるかは不明だが、一定以上親しく無ければ恐らくは意味を為さないだろう。
其処に天秤がある。
かつての『絵以外の事に興味がほぼ無かった』のの子であれば、出来ただろう。何せ、当時の彼女は善悪の判断すら怪しい程に情緒が幼かった。反面、そんな彼女に踏み躙れる縁故等無かった。弟以外には。
今の彼女には縁故が居る。それも複数だ。それもこれも、弟の言いつけを守りオーナーから『人と係る仕事』を宛がわれゆっくり着実に他者と交わって行った結果だ。だが、その結果昔とは比べ物にならぬ程情緒の育った彼女は、果たして親しい者を踏み躙れるのか。